映画「キングダム」の続編制作が正式に発表され、ますます好調のキングダム。
最新話が描かれる週刊ヤングジャンプの連載では、ついに趙国・李牧との戦いに決着がつきました。
「絶対に負ける戦いはしない男」「自らが国王になろうとしている」など、謎めいたキャラクターとして描かれている王翦。
史実上では秦の中華統一に最も貢献した武将、といって間違いないような記録が残されています。
今回は王翦という将軍が史実上でどのような活躍をして、どのように歴史から姿を消したのか?
またマンガ「キングダム」において決着した、秦趙大戦を考察していきたいと思います。
史実上の王翦はどんな活躍をしたのか、そしてその素顔とは
マンガ「キングダム」ではいつも仮面を付けていて、まだ素顔をさらしたことがない王翦ですが、歴史上の肖像画は結構残っているようです。
司馬遷が残した「史記」の中にも「白起・王翦列伝」とあるように、大将軍・白起と肩を並べるほどの活躍をした傑物だったようです。
白起は包囲攻撃・野外戦を得意とし、敵に応じて作戦を変え奇策を無限に繰り出したと「史記」あります。
一方、王翦は戦う前の敵と戦術の検討を詳細に行い、勝つか負けるかわからない不確実な戦いはしなかったようです。
幼い頃から兵法を好んで学んだとあり、軍事戦略に非常に長けているだけではなく、トリッキーな戦法も得意としていた軍略家でした。
そして王翦の勝利後の対応は、白起のように暴力的・残酷なものではなく、むやみに殺害が行われていた春秋戦国時代にあって、大変貴重な存在だったようです。
マンガ「キングダム」の中でも奪った城の住民に全く手を出さず、食糧を求めてさまよう難民に仕立て上げた策略が描かれていましたが、実際無益な殺生はしない人物でした。
王翦の能力(統率力・武力・知力)は、李牧や桓齮比べて勝っていたのか?
結論からいいますと、李牧>王翦>桓齮ということになりそうです。
後の世に「起翦頗牧 用軍最精」という言葉が使われるようになり、戦国四大名将として「王翦・白起・廉頗・李牧の四将は、軍を率いるに最も精通した武将である」と紹介されています。
つまり戦国時代においては、この四人が最も優秀な武将だったといえます。
では、誰が一番なのか?
史実では客観的な指標がなく比べようもないので、キングダムの世界で比べてみると、
指揮力 | 武力 | 知力 | 計 | |
王翦 | 94 | 93 | 97 | 284 |
白起 | 記載なし | |||
廉頗 | 98 | 97 | 96 | 291 |
李牧 | 99 | 91 | 100 | 290 |
桓騎 | 94 | 93 | 95 | 282 |
王騎 | 93 | 98 | 95 | 286 |
蒙武 | 92 | 99 | 86 | 277 |
楽毅 | 100 | 93 | 98 | 291 |
騰 | 94 | 96 | 94 | 284 |
昌平君 | 96 | 90 | 98 | 284 |
楊端和 | 99 | 95 | 96 | 290 |
参考:キングダム公式ガイドブックより
となり、廉頗大将軍が軍神・楽毅とならんでTOPになっています。
個人的には王翦の指揮力は97、知力は99ぐらいあってもいいんじゃないかと思ってしまいます。
もう少し客観的な資料として、PCゲーム「三国志」でおなじみのコーエー・テクモゲームスが2020年に発売した最新の「三国志14」には、三国志で活躍する武将のほかに、「古武将」なる昔の有名な武将を登場させています。
そのデータを見てみますと、
統率力 | 武力 | 知力 | 計 | |
王翦 | 95 | 78 | 84 | 257 |
白起 | 100 | 90 | 72 | 262 |
廉頗 | 90 | 94 | 76 | 260 |
李牧 | 96 | 74 | 90 | 260 |
楽毅 | 99 | 76 | 93 | 268 |
李信 | 83 | 88 | 52 | 223 |
項燕 | 88 | 80 | 77 | 245 |
蒙恬 | 85 | 79 | 70 | 234 |
項籍(項羽) | 98 | 100 | 66 | 264 |
(*桓齮や楊端和などは登場しないので、数字はありませんでした)
と上の4人はかなり拮抗しています。
実はこのゲームはもう2つ 「政治」「魅力」という評価要素があるので、武将としての評価には直結しませんが、ある程度目安にはなります。
合従軍を成功させて斉を滅亡寸前まで追い込んだ、楽毅が最高評価となっています。
上記4人はほぼ同評価ですが、実績面で白起が鼻の差で勝利しています。
残念ながら李信(信)は「キングダム」作中と同じく、知力が・・・(泣)
対趙国戦では、桓齮・楊端和・羌瘣らと出陣
王翦の記録が最初に現われるのは、紀元前236年、秦国が趙国に侵攻しだした鄴攻略戦からです。
いつ生まれいつ死んだのかも記録のない王翦は、この時何歳だったのかも分かっていませんが、長男である王賁が紀元前225年、燕国へ総大将として攻め入っています。
このことから推測しますと、紀元前236年当時で45歳~50歳ぐらいだったと思われます。
第1ラウンド 鄴攻略戦では副将・桓騎、末将・楊端和を従え出陣
合従軍戦から約5年、秦国は攻める国力を失っていた列国に対し、侵攻を開始し始めます。
魏国・韓国と楚国の脅威がありながらも、趙国の最重要都市・鄴へ侵攻するという策は兵站を考慮すれば、やはり無謀に近い策といえました。
ところが、総大将・王翦は事前に調べ尽くして、必ず勝つ戦いをする武将です。
彼には次のような策があったようです。
・趙軍の主力は龐煖が率い、燕国を攻めていたので隙が生じていた
・鄴の城は、古来から難攻不落の要衝であり、守りも堅く容易には攻め落とせない
・鄴攻略に時間をかけていると、近隣の城からの援軍に背後を突かれ厳しい戦いとなる
・これら近隣の城から攻め落とし、鄴を包囲したのち攻め落とす
「キングダム」でも実践されたこの方法で、王翦はまず桓騎を鄴の包囲に残して、周囲9つの城を陥落させます。
そして邯鄲の西方に位置していた拠点である、閼与と橑陽を王翦自ら攻めることで鄴への援軍を封じ込めます。
援軍が来ないことに絶望した鄴城では士気が落ち、まもなく陥落することとなります。
第2ラウンド 宿敵である李牧・司馬尚を討つ
秦軍は紀元前232年頃から周囲の都市を落とすことで、邯鄲攻略を本格化させていきます。
狼孟・楡次など現在の山西省中央部にある39城を落とし包囲網も固めますが、その中にあって李牧と司馬尚だけは肥下・番吾の戦いで秦軍を破り、桓騎を葬ります。
正攻法では李牧を討つことは難しいと踏んだ王翦は、間者・郭開を使い「離間の計」を用います。
愚かにも信じた幽繆王は李牧を処刑、司馬尚を解任、趙軍の戦力は一気に低下します。
この機を王翦が逃すはずもなく井徑を攻め、羌瘣は代の制圧に向かい邯鄲侵攻への準備を万端とします。
王翦は井徑から邯鄲への数百里も続く、通行が困難な狭い山道を難なく通り抜け趙都・邯鄲へ侵攻します。
紀元前228年、王翦は邯鄲を陥落させ、幽繆王を捕らえることで趙国を滅ぼします。
対楚国戦で李信大敗。秦国の切り札として項燕を討つ
中華統一を目指す秦国にとって、最大の壁となっていたのは大国・楚でした。
ある日若き将軍・李信に、楚国討伐には「兵力はどれぐらい必要か?」とたずねた嬴政。
李信「20万で十分」
同じ質問を王翦にすると
王翦「60万いれば楚も適いますまい」
この結果政は前年、自身の暗殺未遂事件の首謀者である、燕の太子・丹を討ち取った功績もあった李信を楚国へ討伐に向かわせます。
一方、王翦は自らの意見を聞き入れてもらえなかったため、病気と称して故郷・頻陽に引きこもってしまいます。
出陣した李信は連戦連勝でしたが、そこに慢心が生じることを楚大将軍・項燕は見抜いていました。
項燕は不眠不休で追走し、油断しきっている李信軍を完膚なきまで撃破。
李信は咸陽へ救援を求めるしか術がありませんでした。
秦王自ら、三顧の礼!?王翦出陣
李信を選んだ際に、王翦へ引退を勧めるような口ぶりだった秦王・政。
あまりに事態は急を要していたため、頻陽にこもっている王翦の元へ行き、素直に侘びを入れます。
それでも王翦は何度も固辞しますが、あきらめず説得し王翦の腰をあげさせます。
紀元前224年、王翦はすでに60歳前後になっていたはず。
老将は強敵・趙国に続いて、大国・楚との戦いに中華統一を賭けて出陣します。
60万の超大軍を率いた王翦は、楚・項燕軍と対峙しても防御に徹して、全く討って出ようとしませんでした。
楚軍がいくら挑発しようとも取り合わず、それどころか連日兵たちに美酒美食を与え、自らも楽しむといった振る舞いでした。
また「史記」によると、兵たちが石投げや跳躍をして楽しんでいると聞くと、「ようやく役立つようになった」と口にしますが、まだ楚軍の挑発を無視し続けます。
一体王翦は楚軍を目の前にして、何をしていたのでしょう?
いろいろな見方がありますが、
・いくら挑発しても戦いに応じない王翦軍に対し、項燕軍の防備に隙ができるよう仕向けた。
・60万というあまりに多い兵(合従軍戦時の両軍の総兵力に匹敵)は、徴兵した時点では烏合の衆。急に招集された兵たちを、最前線で練兵するために時間を費やした。
・娯楽に興じていた兵たちが、練兵を通して自信がついたことを王翦が察し、いつでも戦える軍に成長したと判断した。
油断を誘い、その間兵を鍛え上げていたようです。
いずれにせよ、この後根負けした楚軍が東へ後退した際に、王翦軍は全軍で追撃をかけ、楚軍を徹底的に打ち破ります。
紀元前223年、王翦は蒙武を引き連れてさらに楚軍を追撃し、項燕・昌平君を討ち取り楚国を滅亡させます。
王翦という武将の素顔
王翦はこの大戦に出かける際に、秦王・政に対して「戦勝の褒美として美田屋敷を賜りたい」と頼んでいます。
また行軍中にも執拗に褒美のことや、一族の今後の安泰を確認するなど、政に使者を送り続けたといわれています。
これは王翦が秦国のほぼ全軍といえる60万の兵を任せられていたことから、彼がその気になれば秦国をひっくり返すクーデターさえ興すことができると、秦王・政に勘繰られないための行動でした。
王翦は自らが、「戦後の恩賞のことで頭がいっぱいで、反乱など全く考えていない」ということを秦王に示し続ける必要がある、と悟っていました。
それは、白起の自害の経緯、廉頗の辞任・亡命騒動、李牧が愚王に殺害された事件、呂不韋失脚の詳細など・・・。
戦国時代の名将たちも国王から疑念や嫉妬の矛先となってしまった時、哀れな最期が待っていることを、王翦は先人たちを見て学んでいたわけです。
恐らく、王翦の軍事における業績は白起ほどではありませんが、自らの人生を全うできた賢い武将だったといえるのではないでしょうか。
静かに余生をまっとうした大将軍
王翦は頻陽県東郷という場所の出身でした。
現在の陝西省渭南市富平県の北東に位置するところです。
陝西省はほぼ中国の中心に位置し、秦の時代は咸陽、隋や唐時代には長安と名を変え、それぞれの時代の首都として栄えた古代中国の中心地でした。
そして現在この地は、人口約1,200人の西安と呼ばれる中国内陸部の中心都市となっています。
現在王翦の墓は咸陽市から車で1時間半ほど離れた、彼の生まれ故郷に建てられています。
写真を見る限り何もない広い草原にポツンとあるようですが、比較的近い場所に息子・王賁の墓もあるとのことです。
また2017年には王翦記念館なるものが着工されたようで、今でも地元では敬意を持って受け入れられているようです。
でもこれはもしかしたら、キングダムの影響で観光客を呼び込むための施策かもしれませんね・・;
「食料調達方法も考察。なぜ王翦は李牧に勝利できたのか?」
「決して負ける戦をしない男」王翦が出陣したのは、第500話「進軍路の兵達」で、実に約3年前の連載になります。
当初昌平君が王翦に与えた策は、太行山脈の西側から趙国へ侵攻すると見せかけ、南側の列尾を抜いて一気に鄴へ攻め込む奇策でした。
列尾を抜き、鄴城を望んだときの戦略変更
その奇策通りにコトを進めた王翦でしたが、列尾を陥落させ入城した後、すぐに李牧の秘策に気が付きます。
李牧の奇策、それは列尾城の防御力が弱くなるよう、意図的に設計・築城していることでした。
そしてその目的は・・・
王都圏に入ったら最期、取り囲まれ集中砲火を浴びることになります。
そのことに気付いた王翦は、すぐさま目的地である鄴の城を視察しに行きます。
そして力ずくでは落とせない、防御に完璧な城であることを理解したのです。
ここで昌平君が王翦に託した策のポイントは
①太行山脈西部へ行くと見せかけて、速やかに列尾を落とし兵站を維持したまま、王都圏防衛軍が態勢を整える前に突破する。
②その際飛信隊・玉鳳隊・楽華隊、3隊の独立遊軍が臨機応変に機能しなければならない。
③鄴城に到着したら、鄴城守備軍と王都圏防衛軍の挟撃の中、できるだけ早く城を陥落させ、入城する。
④入城後、列尾~鄴の兵站を維持しながら勢力拡大を目指す。
といったものでしたが、李牧の秘策により①兵站の維持ができなくなりました。
さらに王翦は実際、鄴城を見ることで③も不可能であることを悟ります。
鄴の城に入れない限り、兵站を切られたまま挟撃にあえば、全滅は免れないからです。
これにより昌平君の策は瓦解しました。
そしてここからは、王翦独自の策で鄴攻略を目指すこととなります。
このとき桓騎は守りきれない列尾を捨て、全軍で鄴を落とせばいいとしましたが、王翦は実際視察したことで無理だと分かっています。
その他の武将たちの考えは、全軍撤退。
そんな状況で王翦がとった策とは、
①近隣の9城を落とし、難民を鄴へ送り込むことで、鄴へ兵糧攻めを仕掛ける
②まとまった兵を持つ橑陽・閼与へ進軍し、鄴の救援を阻止する。
③李牧が指揮する閼与軍に対し、王翦を含めた主力部隊を配置する。なお首都の邯鄲軍は参戦しないと読む
④つまり、秦軍の食糧切れが早いか、鄴が飢えに耐え切れず陥落するのが早いか、のチキンレースを仕掛けた。
「キングダム」での王翦のこの策は、史実とも共通点があります。
・史実でも周辺の9城を落とし、拠点である橑陽・閼与へ派兵しています。これは鄴城への援軍を先に潰しておくためでしょうが、王翦は事前に調べることで、古くからの要衝であった鄴城の陥落には時間が掛かる、と予想していたようです。
・史実でも、結果的に王翦はあらかじめ目的地を包囲し、確実性を高めたところで陥落させる手法を取っています。
・史実で王翦は「戦う前の敵と、戦術の検討を詳細に行う」とありましたが、「キングダム」の王翦もまさにその通り。趙王の性格を調べ、「邯鄲軍の出陣は無い」とし、趙国王都圏の状況を熟知し、斉王が味方として助けてくれることまで把握していました。
李牧も読めなかった!鄴攻めを可能にしたギリギリの食糧調達方法
「キングダム」秦趙大戦の勝敗を決定づけたのは、なんといっても斉王・王建による食糧の援助です。
合従軍参加を辞め、李牧を裏切った王建でしたが、どうしてそこまでして秦軍を助けたのでしょうか?
「キングダム」の第486話「文官達の戦い」で、王建と李牧が秦都・咸陽へ訪れます。
これは「史記 秦始皇本紀」にある『斉・趙来置酒。」とある史実ですが、実際秦に来たのは茅焦という斉の人だったようで、王建自ら来たわけではありませんでした。
しかしこのエピソードを借りて「キングダム」では、共に戦の無い世界を目指す「王・同志」。
まさに志を一つにして、「秦斉同盟」を成すエピソードにしています。
また史実でも嬴政と王建はお互い幼少のころ、他国で苦しみながら育ったり、戦火をかいくぐって来た苦労人同士でもあります。
そのことが「キングダム」の世界では、より二人の信頼関係を深いものとし、強固な同盟関係を両国にもたらしたようです。
さて、この秦斉同盟と嬴政と王建の信頼関係を、王翦は知っていたのでしょうか?
答えはもちろん、“YES” でしょう!
この信頼関係を知っていたからこそ、最後の一手である「斉国からの食糧確保」を打つことができたはずです。
これもまた戦う前にあらゆる情報を精査し、調べ上げることで、「決して負ける戦をしない」王翦だからこそ、成せる業といえます。
昌平君にしか明かさなかった、徹底した情報封鎖
では、斉国から水路を通じて食糧を運んでくるという秘策は、いったいどこまでの人物が知っていたのでしょうか?
秘策の存在は、昌平君しか知らなかった
どうやら愛弟子の蒙毅はおろか、秦王・嬴政ですら直前まで知らされていなかったと思われます。
昌平君に近しい人でも、知らされていたのは、
①介億が列尾に補給軍を向わせていた、
ことまでで、その介億が知っていた情報も、
②その補給軍がダミーで、黄河の水路を使い輸送しようとした、
ところまでです。
そして昌平君だけが知っていた秘策は
③秦国側からの水軍輸送は、待ち構える趙国水軍を引きつけておくためのダミーで、その間に斉国水軍の輸送が鄴へたどり着く
という2重の罠だったのです。
あっ、もう一人だけしっている人物がいました。
斉王・王建です。
では左丞相・昌文君まで払い、軍総司令の昌平君のみに伝えるという徹底した情報封鎖をなぜ王翦は行ったのでしょうか?
李牧への警戒心が、情報封鎖を徹底させた
その最初のヒントは出陣早々、気がはやる河了貂を楊端和が落ち着かせる場面がありました。
上官の不自然な緊張は部下にも伝わり、そしてそれがそのまま敵に伝わるというものでした。
このことを熟知していた王翦は「敵をだますには、まず味方から」と、考えたのでしょう。
そして決定的だったのが、李牧に対する最大限の警戒心でしょう。
戦いが進んでいくにつれて、王翦は今回の秦趙大戦を「李牧との知略合戦」と位置づけますが、戦前から最大限の警戒を尽くした結果の情報封鎖だったのでしょう。
実際、直接戦ってみた李牧が、わずかな変化を感覚的に捉えて戦う、本能型の戦い方を習得していることに驚きます。
そして結果論ですが、自らが行った情報封鎖が間違っていなかったと確信しつつも、自分と同じレベルの怪物だと認めることとなります。
もしかしたら王翦が仮面をしている理由は、わずかな表情の変化を味方の兵を通して、敵に伝わってしまうことを避けるための、情報封鎖なのかもしれません。
李牧の戦場離脱がなかったら、鄴攻めはどうなっていた?
結論からいいますと、王翦は負けていたでしょう。
斉国からの水路を使った輸送を、李牧は寸前のところで食い止めていたと思われます。
少なくとも食料が搬入されはじめる少し前に気付いた李牧は、全軍を鄴城と黄河の間に突撃させたでしょう。
王翦と李牧、二人の知略合戦はほんの少しの差で李牧の勝利だったと思いますが、味方に足を引っ張られた李牧は、勝負では負けてしまいました。
しかしこの後戦場に戻ってくる李牧は、手がつけられないほど強力になっているでしょう。
そして王翦は今回の戦いを含めて、李牧とはまともにやりあったら勝てないと学び、新たな戦略をぶつけていくことになるでしょう。
まとめ
今回は史実上の王翦と、「キングダム」の秦趙大戦を指揮する王翦を深堀することで、彼の素顔に少し迫ってみました。
調べていくと、史実と「キングダム」の王翦は、共通点が意外なほど多かったことに驚いています。
もちろん、作者の意図通りなのでしょうが・・・
しかし、「自らが国王になりたい」とするキャラクターは史実とは正反対なので、この先どのような意図があるのかとても興味津々です。
新章に入っても、当分この二人を中心に物語は展開していくと思われますので、少しでも参考にしていただければうれしいです。