キングダム

キングダム合従軍編がおもしろい!見どころや函谷関の配置や裏切り者王翦・ひょうこう他

合従軍編の相関図

アニメ「キングダム」第3シリーズが今春から始まります。

全話「キングダム」3期までの動画を無料視聴する方法|見逃し対応・合従軍戦まで1期2期復習も4月から放送

今シリーズは“合従軍編”

楚・趙・魏・燕・韓・斉、6ヶ国が合従軍を興し秦国へ侵攻、この未曾有の危機に秦国は持てるすべての武力を集め、国の存亡を賭けて迎え撃ちます!

すでに連載された漫画「キングダム」の合従軍戦をまとめましたので、アニメの予習も兼ねてご覧くださいね。

史実上の合従軍とはどんなものだったか

合従軍とは

そもそも“合従”とはなんでしょう?

「従」の文字は「縦」と同じ意味で、「合従軍」とは南北で国々が連合することを意味しています。

一つの国の勢力が大きくなったとき、他の国々が連合を組んでその国を叩き、列国のバランスを保とうとします。

氏族制社会だった当時、王族や貴族が他国に併呑され地位や身分などが大きく変わるのを恐れ、「出すぎた杭を打つ」ことで安泰を図ろうとしたことが動機のようです。

史実上では、アニメ第3シリーズで描かれる紀元前241年の合従軍以外にも、幾度か合従軍と呼べる連合が繰り返されています。

合従軍で斉を窮地に追い込んだ楽毅

紀元前284年、当時秦国とならんで勢力を誇っていた斉国が合従軍に攻め込まれます。

この時燕国の大将軍・楽毅が総大将となり燕・秦・韓・趙・魏の5ヶ国合従軍を指揮して済西にて斉軍に勝利します。

他国はすぐに軍を退かせますが楽毅はそのまま侵攻を続け、首都・臨淄を占領します。

その後6ヶ月間で70以上の城を落とし、斉は滅亡寸前まで追い込まれました。

後に斉将・田単の活躍で奪われたすべての城を取り戻しますが、秦国と2大強国だった頃の勢力はなく衰退の一途を辿ることになります。

 

秦の国門・函谷関。攻められたのは初めてではない!かつては抜かれたこともあった!

嬴政の時から100年ほど前の時代、秦国では初めて“王”の称号を恵文王が唱えます。

それほどまでに強大となった秦国に対し紀元前318年、趙・楚・魏・燕・韓の5ヶ国が合従軍を興し函谷関に迫りますが、秦国はこれを破り8万2千の兵士の首を切ったとされています。

また嬴政の曽祖父・昭王の時代にも合従軍に襲われています。

紀元前298年、戦国四君の一人・孟嘗君が斉・魏・韓との連合軍を組織し、秦国に侵攻しました。

秦国が窮地に陥ると、隣国の趙国と当時存続していた宋国が参戦し5ヶ国連合国となったため、秦国は使者を送り講和を求めます。

この時函谷関を破り首都・咸陽の陥落の危機を回避するために、河東の地を割譲させるなどしたと戦国策に記されています。

史実上では孝公(紀元前361年~)から嬴政(紀元前221年統一)の時代にかけて、秦国は中華統一を見据えるほど強大になっていきます。

そのため他の列国から合従軍を度々興され侵攻を受けましたが、函谷関が破られたのは紀元前298年の1回だけで、ほとんどはうまくいきませんでした。

キングダム 合従軍の全容

キングダムの中でも一大イベントとなる合従軍VS秦国軍ですが、コミックでは何巻から記されていて、どれぐらいの規模なのでしょうか?

何巻から何巻までか

合従軍の侵攻は楚軍の侵攻が24巻の最後に描かれており、本格的には25巻から
33巻355話「特別功」に描かれている論功行賞の話までです。

コミックにして丸ごと8巻分以上描かれているので、アニメの第3シリーズはこの合従軍編だけでほとんど終わってしまいそうです。

6ヵ国中唯一、斉国だけが合従軍から離反

紀元前241年、楚軍の侵攻を皮切りに、魏・趙・燕・韓、そして斉軍の侵攻を秦国の中枢は知ることになります。

この時、軍総司令・昌平君はまだ秦国内へ侵攻していなかった斉国へ目を付け、外遊していた智臣・蔡沢に斉王・王建王との会談を要請します。

癖の強い斉王でしたが経験豊富な蔡沢の外交力により、斉国を合従軍からの離反に導きます。

これにより大軍を国外に派遣した列国は、味方とも敵とも知れない斉国に背後を取られることになり、長期の派兵が難しくなってきました。

総大将は春申君!合従軍は秦国の中華統一を阻むためにつくられた

この合従軍を企てたのは趙国三大天・李牧でしたが、総大将は一番のビックネームであり
戦国四君最後の一人・春申君。

秦国は李牧との間に成立させた秦趙同盟を利用して、魏国から最重要拠点・山陽を奪いましたが、このことが秦国の中華統一へ向けたまさにチェックメイトだったことを、李牧と春申君だけが察知していました。

合従軍に参加した各国の将軍たちを紹介

楚軍(兵力15万)

強力な軍事力を誇る南方の超太国。
象を操らせる戦象など、南方の異民族の戦法を取り入れた戦い方も実践。
宰相は戦国四君最後の一人である春申君。
合従軍戦では蒙武・騰連合軍と対戦する。

    ~~~~~主な武将~~~~~~

●汗明(第一将)・・・楚軍の総大将を務める圧倒的武力を誇る大将軍。初陣から一度も負けたことがなく、かつて楚に侵攻してきた六大将軍のひとり・王齕をも撃退した。

 

●禍燐(第二将)・・・性格に難はあるが、春申君に戦の天才と称されるほどの才覚を持つ。合従軍では戦象を投入するなど騰軍を苦しめる。

 

●臨武君(第三将)・・・合従軍に先立つ戦いで騰軍の将・同金を瞬殺。南方の蛮族相手に数々の修羅場を武力でくぐり抜け、将軍まで登りつめたこの実力者には汗明も絶対的な信頼を置く。

 

趙軍(兵力12万)

宿敵・李牧が宰相を務める強国。
合従軍戦では慶舎を総大将とし、飛信隊が参加した麃公軍との戦いとなる。

     ~~~~~主な武将~~~~~~

●慶舎・・・趙軍の総大将で李牧が絶対的な信頼を置いている。
冷静に戦局を見極める鋭い観察眼を持ちながらも、嗅覚するどい本能型の武将。
自身は次の三大天の座を狙っている。

 

●李白・・・中華が認める守備の将軍。

 

●万極・・・「長平大虐殺」の遺児で、秦国を心底恨む怨念の力は凄まじい。

 

●公孫龍・・・攻守に安定感ある武将。

 

魏軍(兵力10万)

燕国以外のすべての国と国境をもつかつての強国。

総大将・呉鳳明の手腕により攻城兵器での攻撃を得意としている。

合従軍戦では韓軍と共に、函谷関を正面から攻める。

     ~~~~~主な武将~~~~~~

●呉鳳明・・・魏軍の総大将。

魏火龍七師の故・呉慶を父に持つ。ずば抜けた知力で戦場では巧みに陣を操り、難攻不落の函谷関に迫る。

 

燕軍(兵力12万)

大将軍・劇辛を討たれた燕国にとって趙の李牧は因縁の相手ながら、オルドはその才能への興味から燕王を説得して合従軍に参戦。
今回は燕国の大軍に加えて、オルド率いる山間部族が王翦軍と対峙する。

      ~~~~~主な武将~~~~~~

●オルド・・・燕軍総大将であり、50にも及ぶ北の山岳族の王。
オルド本人は山の概観を見ただけで、その奥の地形まで読み取ることが出来る“山読み”に突出しており、山岳地帯では無類の強さを誇る。

 

韓軍(兵力5万)

戦国七雄の中でも最弱国の韓は、合従軍に5万の出兵。
本隊は毒兵器を操る部隊で構成されている。

      ~~~~~主な武将~~~~~~

●成恢・・・韓軍総大将である成恢は、自ら毒の研究を重ね兵器を作り出した。
しかしその研究のせいで、かつての美少年は醜い姿へと変貌した。

 

開戦!主戦場・函谷関の戦い

函谷関とは

キングダムで出てくる国門・函谷関は、史実でも多くの戦闘が行なわれてきた要衝でした。

紀元前361年、秦の孝公が東方からの侵略を防ぐため作ったとされています。

その大きさが記録として残っているのは新関と呼ばれる方で、高さは66mあったそうです。

秦の時代のものは旧関と呼ばれ新関より140Kmほど西にあったとされていますが、同規模だったとすれば恐ろしく高い・・・

キングダム作中で信たちがその大きさに驚いていますが、あながち大袈裟ではないようです。

ちなみに66mって住居用マンションにすると約20階建てに相当します。

(参考::60m~80mの超高層ビルデータ)

 

本能型武将が集う、趙軍vs麃公軍

△趙軍(12万)vs △麃公軍(4万 飛信隊含む) 
引き分け(決着つかず)

【戦況の推移】
王騎を失った馬陽戦以来となった因縁の対決。

合従軍戦は麃公の突撃で開戦。

趙軍の奥深くまで進撃した麃公に対し、李牧が全幅の信頼を置く総大将・慶舎が挟撃を狙う。

本能的に危機を察知した飛信隊・信は敵軍の中を逆走し、追い込まれていた麃公後軍を建て直しながら万に近い兵を率いる。

乱戦の中、長平の怨みを晴らすべく万極軍が飛信隊を苦しめるが、成長著しい信の前に敵将・万極が敗れる。

その後長い持久戦の末、15日目に麃公が打った策を慶舎が看破しこの戦場での決着はつかず、事実上引き分けへ。

【戦死者】万極(趙将軍)

首切り桓騎の戦い方

×魏(10万)・韓(5万)連合軍 vs ○函谷関中央軍(蒙驁・張唐・桓騎軍)
函谷関抜けず・合従軍敗北

【戦況の推移】
魏軍が巨大井闌車を投入するが桓騎の策により炎上、しかし不落の函谷関に橋が架かり秦本陣は窮地に。

開戦2日目から持久戦が展開、7日目に韓本隊の毒兵器攻撃により秦将軍・張唐が被弾、決戦の15日目に毒がまわり死の窮地に。

張唐の持ち場が函谷関の弱点と判断した魏軍は、巨大兵器を駆使し韓軍と共に一気呵成に出る。

防戦一方の中、少数の兵を率いた桓騎は張唐と共に奇襲を敢行、張唐が韓軍総大将・成恢を討つも直後に絶命する。

桓騎の奇襲の間に手薄になった函谷関は更に窮地に追い込まれ、その上楚将・禍燐の奇策を受け絶体絶命のピンチへ。

ここで姿を消していた王翦の出現により、危機を免れた秦国は函谷関を守りきり秦軍の勝利が確定的となる。

【戦死者】成恢(韓軍総大将)/張唐(秦軍将軍)

圧巻の戦い 汗明vs蒙武

×楚軍(15万)vs ◎蒙武・騰連合軍(9万 楽華・玉鳳隊含む)
総大将戦死・秦軍完全勝利

【戦況の推移】
開戦初日、楚第三将・臨武君の部下である中華十弓の一人・白麗に騰軍・鱗坊が射抜かれ戦死。

突撃した録嗚未も臨武君に討たれかけたが、その危機に大将・騰自らが急襲し臨武君を葬る。

臨武君亡き後、千人将である白麗・項翼を含む残存勢力を引き継いだ第二将・禍燐もまた15日目まで自持久戦を展開。

決戦の15日目、楚軍総大将・汗明率いる6万の軍勢に、武一辺倒だった蒙武が高度な戦術“斜陣がけ”で乱戦に突入。

昌平君より授けられたこの策により左右に兵力を散らすことに成功した蒙武は、自陣5千で汗明本陣1万へ突撃、決して負けることが許されない戦いに挑む。

圧倒的な武力と名声を誇る汗明に、一騎打ちを仕掛けた蒙武は壮絶な激戦の末、これを叩き潰し勝利する。

一方楚軍第二将・禍燐も6万の兵で騰軍を包囲する。

騰は守備重視の方陣で対抗しながら 王賁・蒙恬を急遽5千人将として抜擢。

二人が一撃離脱の戦術で反撃の糸口を探す中、禍燐本陣も方陣に突撃。

騰軍の軍長たちと王賁による禍燐への急襲で騰軍は方陣を死守する中、禍燐は戦線離脱し汗明vs蒙武の一騎打ちの場へ向かう。

汗明と戦う蒙武へ刺客を放つが失敗、汗明の死により崩壊していく汗明軍を禍燐は放置し、自らの秘策で秦軍を窮地に追い込む。

密かに移動していた禍燐の精鋭部隊5千が汗明の死に湧く函谷関の裏へ到着、一気になだれ込む。

裏から函谷関正門が破れようとしていたその時、王翦軍が現われ正門周囲の敵を撃退し、函谷関での合従軍の敗北が決定的となる。

【戦死者】汗明(楚軍総大将)臨武君(楚将軍)/ 鱗坊(騰軍武将)

裏切り者?王翦の戦い方

×燕軍(12万)vs ○王翦軍(7万)
心理戦で敗北

【戦況の推移】

開戦2日目、山中に堅牢な砦を築いた王翦だったが、山間民族を取り入れたオルド軍主攻隊の前に撤退を余儀なくされ、更に山中奥深くへと姿を消す。

王翦逃亡と判断したオルドは、卓越した山読みを活かしそのまま函谷関裏の巨大な断崖を超え、今大戦を終わらせようとする。

しかし消えたはずの王翦軍が背後から急襲、オルドは8千の主攻隊を失い山砦に退却。

その後ふたたび姿を消した王翦軍を恐れオルドは砦から動くことが出来ず、結果として函谷関の援護に向かった王翦を追撃できず戦線から取り残される。

戦力で圧倒しながら、心理戦で王翦に敗北。

最終決戦・蕞攻防戦

×李牧軍(4万 各国精鋭1千+龐煖含む)vs ○秦軍(麃公・信・政・蕞民兵・山の民等)
蕞を抜けなかったため

天才・李牧の一手

決戦の15日目が終り函谷関では小規模な交戦のみとなり、大戦は終わったかのように思われた。

しかし李牧は開戦直後から趙兵を首都・咸陽へ続く南道へ送り続けており、すでに4万の軍勢が迫っていた。

そのことに気付いた咸陽陣営は対応を迫られるが、李牧の侵攻が速く対応が出来ない。

 

本能型同士のタッグ・麃公と信

この李牧の奇策にいち早く気付いたのが、本能で察知した麃公将軍と信であった。

二人は直感に従い、決戦の日の翌日には南道へ向けて3千の兵を率いて猛追し始める。

そして咸陽まであと二日ほどの距離に迫った李牧軍に、ついに追いつき背後から急襲。

李牧は敵兵を分断する高等技術「流動」を使うも、麃公は本能で戦術を見破り李牧と対峙。

危機である李牧のもとに武神・龐煖が現われ、麃公との一騎打ちへ。

奮戦及ばず龐煖に敗れるも麃公は死に際、信に自らの盾を託し「火を絶やすな」と伝え息絶える。

麃公の仇を討とうと龐煖に向かう信を、壁がくい止め共に咸陽へ急ぐ。

中華統一に相応しい秦王・嬴政

麃公の死と三大天・龐煖出現の報に首都・咸陽は一時パニック。

民衆は暴動を始め、相国・呂不韋までもが不穏な動きをし始める。

そんな中、大王・嬴政は自ら最後の城「蕞」へ向け出陣する。

李牧の追撃を疲弊しきって蕞へたどり着いた信たちを、既に到着していた大王・政が待っていた。

政は怯えきっていた蕞の住民を鼓舞し、共に戦う覚悟を決め李牧軍の到着に備える。

程なく到着した李牧軍との死闘が始まる。

戦いの経験がない蕞の民兵たちは昼夜を問わない李牧軍の攻撃の前に、疲労が限界に達しつつあったが、大王・政との語らいを経て傷ついた兵たちの士気がますます高まり四方すべての城壁で民兵たちが覚醒をし出す。

5日目政が深手を負い、7日目ついに昌文君が守る西壁が抜かれ誰もが絶望する中、西の山間に軍勢が・・・

蕞の城があったとされる場所は、現在の中国で陝西省西安市臨潼区という場所にあたります。実はこのすぐ近くに政のお墓である始皇帝陵があり、現在も発掘調査が続いています。
そしてそのすぐ側にはあの有名な兵馬俑がありますが、もしかして・・・
あの大量の人形たちは、政と共に戦った蕞の民兵なのかも。

絶体絶命の危機を山界の王・楊端和が救う

西の山に現われたのは楊端和率いる山の民軍・約3万の援軍だった。

完全に封鎖されていた情報の中、李牧は山の民の存在すら知ることが出来なかった。

強力な援軍は瞬く間に李牧軍を城外で追いやる。

このまま戦闘を続けても結果として首都・咸陽を落とせない悟った李牧は退却を決意した、が・・・その時。

宿命の戦い 信vs龐煖

快進撃する楊端和の前に、麃公を討った龐煖が再び現われる。

仲間の制止を振り切り、龐煖との一騎打ちに挑む信。

かつて全く歯が立たなかった強敵に、ついに深手を負わせて退却をさせる。

これにより李牧は全軍退却を指示、それは5ヶ国連合の合従国軍が秦1国に敗れたことを意味した。

【戦死者】麃公(秦国大将軍)

     ~~~最終結果~~~
×合従国軍(楚・趙・魏・燕・韓連合軍)vs ○秦国軍

まとめ

今回は合従軍の戦いを大まかに紹介してきました。

みどころはまだまだ語り尽くせていませんので、皆さんもぜひアニメが始まる前に予習しましょう!

史実では記録がないことから、李牧は合従軍には参加していないというのが一般的なようです。

しかし史記をまとめた司馬遷は、この戦の約100年後の人物であることから本当のことは誰もわかりませんね。

歴史のロマンを感じながら、今後も「キングダム」を楽しんでいきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

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