信が目指す天下の大将軍・王騎を殺し、王騎の許婚だった 摎も殺し、大将軍だった麃公をも殺した秦にとってまさに疫病神である龐煖(ほうけん)。
過去主人公の信は龐煖(ほうけん)と二度戦っていますがどちらも決着はつきませんでした、というよりそのまま続けていたら信は間違いなく殺されていたでしょう。
王騎の矛と意思を受け継いだ信にとっては龐煖(ほうけん)はどうしても越えなければならない壁であり、飛信隊の仲間を幾人も葬られた仇も討たなければなりません。
現在キングダムは李牧率いる趙軍と王翦率いる秦軍の一大決戦の真っ只中ですが、ついに最新の620話で龐煖(ほうけん)と羌瘣が一騎打ちに突入しました。
今回は緊急特集で宿命の対決である龐煖(ほうけん)vs信の決着を予想すると同時に、龐煖(ほうけん)とは史実上ではどのような人物だったのかをご紹介いたします。
またありえない設定なんですが、番外編として武力だけなら史上最強の呼び声高い三国志の飛将・呂布奉先vsキングダムの武神・龐煖(ほうけん)が戦ったら、を考察してみたいと思います。
龐煖(ほうけん)vs信、宿命の対決の行方は?
龐煖(ほうけん)vs信は過去に二度対戦しています。
一度目は信が14~15才のとき、武の強者を求めて殺してまわる龐煖(ほうけん)の習性により夜襲を受けた飛信隊が多数の犠牲者を出すなか、信が羌瘣と共に龐煖(ほうけん)へ立ち向かいます。
結果は惨敗。
信も羌瘣もボロボロで飛信隊もバラバラになり敗走の中、尾平の弟・尾到を失ってしまう辛い戦いとなります。
二回目は合従軍戦の最終盤となった蕞の攻防戦で龐煖(ほうけん)と再び対峙することになります。
この時信は蕞の城と政を守ることで満身創痍でしたが、龐煖(ほうけん)も麃公との戦いで片腕をへし折られており、両者ともかなり負傷した状態での戦いでした。
結果は信が龐煖(ほうけん)へ一刀あびせ深手を負わせることができましたが、勝利したとは決していえない戦いでした。
龐煖vs信は今回の秦趙戦で決着する、予想しうる結末は3つ!
過去二回の戦いから「本当にこの宿命の戦いは今回決着するのか」と心配が浮かんでしまいますが、恐らく今回決着すると確信しています。
その根拠は二つ。
一つ目、龐煖(ほうけん)は現在キングダムで秦趙戦が描かれている紀元前236年以降史実上に全く記録がないことから、歴史に忠実な作者はこの先龐煖(ほうけん)を描くことはないと思われるので何らかの決着がここでつくはずです。
二つ目、李牧はこの戦いで「あなた達の・・・・・結末を!」と何らかの形で決着がつくことをはっきりと示唆しているからです。
強い者しか興味のない龐煖(ほうけん)を戦場へと導いたのが李牧で、その際龐煖(ほうけん)とある約束を交わすことで軍に引き込むことができたと推測できます。
強くなることしか興味がない龐煖(ほうけん)なので恐らく約束とは「今以上強くなって、史上最強になるにはどうしたらいいか?」という問いに答えるみたいなモノだと思います。
李牧は龐煖(ほうけん)を王騎と戦わせることで、今のままでは最強にはなれないことを気付かせる一方で、王騎と戦って結果的には勝ちはしたものの実力では負けていたことを龐煖(ほうけん)が受け入れられず苦しむであろうことも見越していたはずです。
そして王騎の矛と意志を受け継ぎ、どんどん成長していく信こそが龐煖(ほうけん)の求めている答えであると李牧は示唆します。
そして李牧は結末を見届けようとします。
その結末とは
①龐煖(ほうけん)が勝敗に関わらず生き残り、己だけの武を求める道だけでは最強になれないことを悟り、真の三大天としての道を李牧と共に歩み出す。
②龐煖(ほうけん)が圧倒的に勝利し今まで通りの道が正しかったと確信し去ってしまう。
この場合、目的に達したので軍に残る必要はない。
③すでに王騎の意志を継いでいる信がこの場で龐煖(ほうけん)を討ち、仇討ちを成功させる。
もちろん李牧は①になることに賭けて龐煖(ほうけん)を信にぶつけているはずです。
宿命の戦いはまず龐煖vs羌瘣からはじまる
さて今回の対決ですが信と羌瘣は前日、趙峩龍を討つために相当無理をしており消耗しきっています。
また龐煖(ほうけん)も楽華隊を襲撃した際に蒙恬の教育係の「じぃ」こと胡漸に脚を貫かれています。
凡人ならすごい重傷ですが龐煖(ほうけん)にとってはあまり気にならないレベルの傷かもしれません。
疲弊してはいますが羌瘣は一回目の戦いの時と比べてはるかに強くなったストーリーが描かれています。
山陽攻略戦後、羌瘣はかつて姉と慕っていた羌象の仇を討つべくの蚩尤となった幽連を探す旅に出かけるため飛信隊から離れます。
やっとの思いで見つけた幽連は羌瘣の想像を上まわる強さで勝負を諦めかけます。
その時羌瘣は羌象のある姿を思い出しました。
それは呼吸を禁断の域である「魄領の禁」まで落とし意識を失い横たわる羌象の姿です。
それは羌象が蚩尤を決める「際」で羌瘣を倒すための術を、命懸けで探していたとき偶然「魄領の禁」に落ちてしまった結果でした。
誰一人戻って来れなかった「魄領の禁」から羌象が戻り目を覚ましたとき、彼女は羌瘣に「ぼんやりと見えた一点の光をたどってきたら戻ってきた、その光は間違いなく羌瘣だった」と伝えます。
このことを思い出した羌瘣は戦いの最中、巫舞の秘密に気付きます。
人との関係をすべて断ち切る「際」で最強を手に入れたつもりの幽連では、究極の域から帰ってくる光を見つけることはできないと悟り、自ら「魄領の禁」のへの呼吸を落としていきます。
そして羌瘣にとっての「光」、それは帰るべき仲間のところであり、そのことを気付かせてくれた信の存在です。
この時羌瘣に敗れた幽連は呼吸の制限がなく巫舞を必要とせずとも無尽蔵に気を練ることができる状態、つまり龐煖(ほうけん)と同等の能力があったと推測できます。
つまり万全の状態なら羌瘣は龐煖(ほうけん)に十分勝てる見込みがあったでしょう・・・
「魄領の禁」へ呼吸を落とし龐煖(ほうけん)を切り刻み、窮地へ追い込む羌瘣ですが最初からボロボロだったため、とどめを刺す寸前で術が解けるか、無理のしすぎで「魄領の禁」から戻って来れなくなるのではないでしょうか?
どちらにせよ龐煖(ほうけん)にかなりの深手を負わせますが、自らは戦闘不能に陥ってしまうでしょう。。。
羌瘣を助けるために信が龐煖に立ち向かう
限界を超え戦い続け、戦闘不能になった羌瘣を助けるために信が龐煖(ほうけん)に立ち向います。
しかし今回の龐煖(ほうけん)の目的は「答えを導く者」である信を倒すことです。
さらに限界を超えた両者の命を削り合う戦いが繰り広げられるはずです。
宿命の対決・龐煖vs信、ついに決着!その決め手は・・・
決着のシーンは全くわかりませんが、メキメキと成長し続ける信と龐煖(ほうけん)の差は「敵味方関係なく倒れていった者たちの想いを背負い、仲間立ちと成長する姿」と「自分が強くなることだけ」の差であり、そのことを表現するなら決定打はボロボロの信ではなく飛信隊の仲間によって成されるのでは・・・とも思っています。
王騎将軍は魏加の矢が致命の一撃となりましたが、今回は弓矢兄弟の弟・淡が放った矢が決定打となり王騎の矛で信がとどめを刺す、という決着を予想したいと思います。
龐煖を倒したその後をちょっと考えてみる
信が龐煖(ほうけん)を討つとどんなことになるのか、を想像するとまず趙軍が一気に劣勢に立たされるでしょう。
三大天の一人が討たれたとなるとその心理的な動揺は大きく、戦況に多大な影響が出るでしょう。
また頼りになる武将が負傷している馬南慈と馬呈、別の戦場にいる紀彗ぐらいでとても持ちこたえられないでしょうから、李牧はすでに脱出の段取りをしているように思います。
龐煖は実在したのか?
龐煖(ほうけん)は史実上の人物で、大活躍した趙の大将軍です。
キングダムの龐煖(ほうけん)は強さをひらすら求めるだけの人物ですが、実際はどうだったのでしょう?
史実上の龐煖はどのような武将だったのか
龐煖(ほうけん)の出没年はわかっていませんが、若いころから楚の山奥で道家の隠者に師事していながらも、軍事に強い興味をしめしていたようです。
また縦横家であったことから頭の回転が速く、巧みな弁舌を持つ智将であったようで、キングダムで描かれている紀元前241年の合従軍の際、史実では李牧ではなく楚の春申君が5ヶ国を取りまとめますが、連携して動いた蕞攻めは龐煖(ほうけん)が4ヶ国を取りまとめて率いたとされ、外交の策士としての手腕も発揮しています。
史実上でも三大天の名に恥じない活躍ぶりだった
趙で活躍した武将たちを並べてみると、恵文王・孝成王の時代に藺相如や廉頗が活躍し、悼襄王の時代に龐煖(ほうけん)と李牧が主に活躍、そして愚かな王の代名詞である幽繆王に李牧が使え続けています。
紀元前242年には燕を攻め大将軍である劇辛を討ったり、紀元前241年には蕞攻めを取りまとめたりと大いに活躍している記録が残っています。
龐煖はいつ死亡したのか
現在キングダムで進行中の紀元前236年の秦趙戦では龐煖(ほうけん)は一切参戦しておらず、燕に遠征している途中でした。
趙の危機を知った龐煖(ほうけん)は南へ急行しますが間に合いませんでした。
同年龐煖(ほうけん)を重用していた悼襄王が亡くなると、即位した幽繆王に用いられることはなくその後歴史から姿を消しますので、戦場で死んだのではなく晩年は静かに暮らしたと思われます。
【番外編】龐煖と呂布が一騎打ち!中国史上最強の武将はどっちだ!
誰が中国史上最強の武将か?
最強の武将は時代背景や誰に仕えていたか、また記録を記した人の意図など様々な要素があり当然一人に決めることはできませんが、少なくとも呂布奉先は必ず名前が挙がる一人です。
その呂布と龐煖(ほうけん)が一騎打ちしたらどうなるのか?
もちろんありえない話しですが、考察してみました。
三国志(史実)の呂布と三国志演義の呂布
三国志には実際に三国時代を生きていた陳寿が書いた正史「三国志」と14世紀後半に羅漢中が記した長編小説「三国志演義」があり、大衆が楽しむことで受け入れられていった「三国志演義」は「七実三虚」の物語と言われています。
ですから読み手が喜ぶ演出としてフィクションの部分もありますが正史に沿って作られており、少しキングダムと似てると思いませんか?
もちろんキングダムの方が400年以上昔なので残っている資料も圧倒的に少ないわけですが、「正史」でも「演義」でも呂布は圧倒的に強く三国志における「武」の象徴となっています。
圧倒的な強さだった呂布
三国志演義において呂布の圧倒的な強さを示す逸話が「虎牢関の戦い」です。
この時曹操は「この世には絶品が二つあるという。人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」
赤兎とは当時呂布が乗っていた馬・赤兎馬(せきとば)のことで「日に千里駆け、速さは稲妻のごとし」と曹操はつづけます。
赤兎馬に乗り方天画戟を持つ呂布奉先
参考URL:コーエーテクモ「真・三国無双6」より
http://smusou6.gameskouryaku.com/?cmd=backup&page=%CF%A4%C9%DB&age=3
「恐ろしいことにこの世の二つの絶品が一つになった」と言っています。
参考:ドラマ「Tthree Kingdoms」より
そしてこの戦いでは張飛・関羽・劉備の三人がかりでも傷一つつけることができませんでした。
張飛も関羽も三国志の中では恐らく呂布に継ぐ豪傑で、一騎打ちでは生涯一度も負けたことはなく名だたる武将を討ち取っています。
呂布の最期とは
天下一の武勇を誇りながらも呂布の評価は正史「三国志」の著者・陳寿によると「虎の強さを持ちながら英略を持たず、軽はずみで狡猾で裏切りを繰り返し、利益だけが眼中にあった。彼のごとき人物が歴史上破滅しなかった例はない」と散々なものです。
参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E5%B8%83
呂布の最期は曹操に敗戦し籠城の末、結局投降しますがその際命乞いをするも処刑されてしまいます。
もっとも現在の中国のことわざで「曹操が呂布を殺す」とあり、これは後悔するという意味だそうです。
三国志演義・呂布vsキングダム・龐煖の一騎打ち!
それではありえない話しですが、ここからは呂布vs龐煖(ほうけん)を考察してみます。
結論からいいますと私は“呂布の勝ち!”と思います。
理由は先ほど記した張飛と関羽は本当に強くて、キングダムに置き換えると蒙武と王騎ぐらいかそれ以上と思います。
龐煖(ほうけん)がこの二人を同時に相手して無傷でいられるかと考えると、それは厳しいと思います。
加えて戦場での一騎打ちとなると、呂布は赤兎馬に乗りながらも「方天画戟(てんほうがげき)」というすさまじい破壊力の武器の使い手であると同時に、実は天才的な弓の名手でもあります。
戦闘の引き出しが龐煖(ほうけん)よりはるかに多いのです。。。
最後に加えて呂布は相当なイケメンだったそうで、ドラマの呂布役であるピーター・ホーを見ても中国の呂布に対するイメージがよく分かります。
引用:映画「英雄之戦」より 2014年
これにて龐煖(ほうけん)の完敗です。。。あしからず。
まとめ
今回は間近に迫った龐煖(ほうけん)vs信の宿命の対決の考察を中心に、龐煖(ほうけん)の人物像を紹介してまいりました。
呂布vs龐煖(ほうけん)はおまけでしたが、史実上の記録で比べると龐煖(ほうけん)は武と智を兼ね備えたバランスのとれた大将軍でした。
一方呂布は気まぐれで、荒くれ者。
どちらの武将に仕えたいかという視点なら、やっぱり龐煖(ほうけん)ですね。
いよいよ佳境を迎えたキングダム、李牧の言う「結末」を楽しみましょう!